2016年09月03日

「女子高生たたき」をめぐる毎日新聞の記事

<貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解
毎日新聞 9月3日(土)9時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci

 丁寧かつ品の良い記事であり、書かれている内容にも異論はまったく無い。
 しかし、一体この記事は「 "誰" に向けて書かれた」ものなのだろう。
 「・・女子高生たたきの大誤解」というが、中心となって叩いている人間たちは別に "誤解" などしていないからである。

 彼等(醜悪な片山議員も含めて)がやっていることは、単なる「ヘイトスピーチ」であり、曲解こそあれ "誤解" などそこには存在しない。あるネットメディアが「捏造」までして "叩き" に加わったことからも、それは明らかであろう。
 最終的にこのメディアは、「記者の "事実誤認" ・・」と謝罪して記事を削除したが冗談では無い。「正しく伝える意志は有ったが間違えた」のなら "誤認" だが、最初から何の根拠も無いデタラメを「事実のように書く」のは全くの "捏造" であり、単なる悪意の発露=ヘイトスピーチそのものでしかない。
 こういう連中に対してとるべき態度は、法的措置を含む断固たる「反撃」であって、「 "誤解" を解く」ことなどではないのは、例えば在特会やその仲間の物書きたちの言動・行動からも明らかではないか。
 実際、女子高生叩きのネット言説の一部には「在日」といったことばも使われていたのである。

 おそらく、この毎日新聞の記事は「その他多くの一般市民」に訴えることを目指したのだと考えられる。そうであれば、この見出しは極めて不適切である。なぜならば、この見出しの意味が瞬間に理解できるのは、既にネット上で悪質なバッシングが行われていることを良く知っている人に限られるのであり、元々酷い偏見はもっていない・大きな "誤解" もしていない、NHK の放送を見て少し同情している、といった程度の新聞読者は、いきなり "大誤解" などと書かれても良く解らないからである。
 それらの一般読者に訴えるのであれば、「『貧乏人らしく』はいじめ!」「女子高生たたきに流されるな!」等と書くべきだったのではないだろうか。
posted by Cheshire Cat at 15:20| Comment(0) | 報道・ジャーナリズム

2016年08月27日

英語教育に関する病

 Yahoo Japan が定常的に行っている「意識調査」が、英語教育の "時期" をとりあげている。
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/life/25082/result
 質問も馬鹿げているが、相変わらず奇妙な(気持ちの悪い)回答傾向である。

Q.子どもの英語教育について、いつから始めるのが良いと思いますか?
「・幼児期(小学校入学前)から」 49%
「・小学校から」 24%。


 合わせると、70%以上がいわゆる「早期教育」論者のようである。見事に洗脳されたものだ。

 面白いのは、幼児期からに賛成する人々の理由の多くが「耳」や「発音」であったり、「国際感覚」だったりすることである。これはそのまま歪んだ「ネイティブ信仰」に繋がっている。
 どうやら、英語を "学ぶ" 目的が、「母語に加えてもう一つの言語によるコミュニケーション能力を正しく身に付けること」ではなくて、「 "アメリカ人のような発音" を鍛えること」になっているらしい。

 これは、コミュニケーション能力が情報の「発信・受信」にかかる "全人格的な能力" であることを、まったく理解していないことによるものだろう。
 情報の「発信」とは、自身の "内なる考え" を整理し、それを論理的に正しく構築し、適切な言葉を選択して外部化すること。「受信」は逆に、示された言葉を正確に受け取り、その "論理" を正しく理解して、自身の思索と対比することである。
 これらの基本的な能力が不十分では、どんなに "学習" しても、言葉は通じない。

 どんなに "発音" が良くても、本当に必要な場面でまったく "英語の通じない" 人物は珍しくない。
 コミュニケーション能力は、幼児期から10代にかけてのすべての「勉強」や日常生活を通じて鍛え、身に付けることしかできず、そしてそれは『母語』でのみ可能なのである。
 その大切な時期に、「ABCの歌」などで浮かれていたら子どもの将来をぶち壊すことになる、ということも解らないのだろう。
posted by Cheshire Cat at 11:23| Comment(0) | ことば・日本語

2016年07月08日

「余命宣告」に関する記事について

 朝日新聞のネット版に出た「進行がんの余命宣告は必要か」なる記事を読んで、文字通り "目が点" になった。詳しくは後で述べるが、何よりもここで紹介されている医師の異様な "傲慢さ" と唯我独尊ぶり、そして、その人物の話をただ "拝聴" して垂れ流すだけで、ジャーナリストとして最低限の疑問や批判のかけらも持ち合わせない記者、に対してである。

 この医師曰く、宣告された患者の中に「がっくり肩を落としたり、ぼろぼろと涙を流したりする。ショックでうつ状態になる人もいた」のだそうである。そこで質問。
 それなりに権威があり信頼する "医師" という存在から死期を宣告されたら、ショックを受け、哀しみ、抑鬱状態になるのは当然である。そのように反応する人が居ることのどこに、何の問題があるというのだろうか?

 またこの医師は「一方的な余命宣告は患者を傷つけるだけ」と主張する。それでは訊くが、「(死期が近いことを知らされずに)死んでしまった患者は傷ついてない」と、何を根拠に断定するのだろう。
 臨終の間際に「早く告げてくれていたら、やれたこと、やっておきたいことがあったのに・・」と深く悲しみ、傷ついている患者がいるとは、全く考えないのだろうか?
 それに、そもそも「一方的でない余命宣告?」というのがあるのなら是非教えてもらいたいものだ。

 さらにこの医師は、余命宣告の期間が「結果と一致しない」と言っているのだが、「最悪だと○○、様々な治療が上手く効いてくれれば□□まで期待できる・・・」といった幅をもたせた説明をするのが通常であろう。「○ヶ月です」などと断定的に宣告する医師が居たらそれこそ問題ではないのか。
 一体どのようなデータをもとに "3割" と言うのだろう。記者はそのデータの詳細をきちんと読み、理解したのだろうか。

 最後に、もう笑うしかないのは「最善を期待し、最悪に備えましょう」という "お言葉" である。
 誰だって「普段からそう思って」日々生きているのである。そんな当たり前のことを偉そうに "教示" できる人物こそ、何とも奇怪な存在と言う他は無い。そこで吹き出さなかった記者の頭脳と、このような記者を抱える朝日新聞の将来も大変に心配である。

 念のために、
 この記事のもとになったインタビューが遥かに長時間、多岐にわたるものであり、医師が実はもっともっと奥の深い、医師として人間として考え、悩み抜いた上での意見を真摯に語ったのだとしたら・・・。それが、能力不足の記者のために、このようなひどい要約記事になってしまったのだとしたら・・・。この医師には申し訳なく思う。しかし、この記事を読む限りにおいては私の見解は変わらない。

進行がんの余命宣告は必要か
石塚広志
2016年7月6日06時00分


 進行がんであることがわかると多くの患者は医師にこう聞くそうだ。「あと、どれくらい生きられますか」。日本医科大武蔵小杉病院の勝俣範之教授(腫瘍(しゅよう)内科)は「そこで医師は『実は○カ月です』と言ってはいけない」と余命宣告の廃止を提唱する一人だ。
 かつて勝俣さんも患者の強い希望で伝えることはあったそうだ。だが、悟りきったような聖職者、あるいは度量のありそうな社長や政治家であっても、具体的な余命期間を告げられると、がっくり肩を落としたり、ぼろぼろと涙を流したりする。ショックでうつ状態になる人もいたという。
 勝俣さんは「一方的な余命宣告は患者を傷つけるだけ」と指摘する。さらに医師の告げる余命は当てにならないというデータもある。勝俣さんが、自身を含む医師14人の担当した進行がん患者75人の余命予測を検証したところ、実際の期間と一致したのは約3割にとどまったという。
 医師がいくら「不確かだ」と強調しても、患者は数字にとらわれる。
 勝俣さんは余命宣告の代わりにこう言うそうだ。
 「最善を期待し、最悪に備えましょう」

http://www.asahi.com/articles/ASJ7561JPJ75UBQU009.html?ref=wmailm_0708_21

posted by Cheshire Cat at 20:08| Comment(0) | 報道・ジャーナリズム