2018年06月06日

難民認定の異常な少なさに透けて見えるこの国の病

 日本国政府が、あらゆる手段、抜け穴まで用意して外国人労働者を増やそうとしている一方で、「難民」については異常なほど忌避するのは何故なのか?
 入国管理局の収容所の現場職員が、刑法犯でもない「難民申請者」の人権を徹底的に無視、虐待行為を続けられるのは何故なのか?
 近年、逃走や退学などで在留資格を失いかけた技能実習生や留学生が、「難民となるべき事由・状況」が無いにもかかわらず、在留期間の延長を狙って難民申請を行うケースが急造しているのは事実である。政府は言わばそれに便乗する形で、難民申請者=不法滞在者と印象づけ、治安の問題なども仄めかしながら一層の「審査の厳格化」を打ち出している。
 だが遥か以前から、世界の主要先進国が等しく受け入れてきたクルド難民やシリア難民などについても、日本政府は徹底的に受け入れ(難民認定)せず、一貫して仮放免と収容という犯罪者と同様の待遇を続けてきている。正当な難民申請者の中には、本国では医師、技術者、法律家、料理人など様々な専門職であった人も居て、日本政府の言う「高度専門人材」も少なくない。しかし、そのことは一切無視されるのである。
 その本当の理由は、制度や法令以前に、関係する政治家や官僚の「意識の根底」にある「難民などというのは "祖国から逃げた裏切者" だ」という意識ではないのかと私は考えている。それは、国内の企業や官庁における "内部告発者" に対する評価とも重なって見える。権力の絶対視抵抗することへの罪悪視という、この国の社会が抱える「大きな歪み」の部分、本当の意味での民主的社会にも民主国家にもなりきれない根本、につながっているのではないかと考えている。
posted by Cheshire Cat at 16:43| Comment(0) | 世界と日本

2018年02月28日

「働き方改革」と生産性の問題

「働き方改革」とは、誰の、何のための "改革" なのか?

 担当官庁である厚生労働省のHPでは、「働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現」と、賛否はともかくそれほど奇怪なことが書かれている訳ではない。
 一方、首相官邸HPにある「働き方改革の実現」というページには、例によって、霞ヶ関官僚の "詭弁力" を最高に発揮した「個々にはきれいな言葉を並べながら、全体としては何を言っているのか解らない」と言うか「現実的に意味の有ることは何も言ってない」文章が並んでいる。
 ただ、その中で無視できないのは「働き方改革こそが、労働生産性を改善するための最良の手段」と言い切っていることで、ここまで断定されては検討しない訳にはいかない。

 「労働生産性」を高める具体的な方法としては、大きく次の2つが挙げられる。
 その第一は、イノベーション。まったく新しい、魅力的な製品・サービスといったものを創案し、他に先駆けて事業化することで新たな市場を開拓する、あるいは抜本的・革命的な技術革新を起こして、在来の製品やサービスであってもその生産・提供・消費のあり方をを劇的に変える、といったことで、付加価値=生産性計算の "分子" を増やす方法である。
 現在、世界をリードする先進国において「労働生産性」向上の核心となっているのは、圧倒的にこの「創造性」「イノベーション」である。
 例えば、アメリカ経済の高い生産性を牽引しているのは、アップル、アマゾン、グーグルなどの企業群であるが、そのすそ野には無数の創造的な起業家たちが群がっている。そして、さらにその基盤を形成しているのは、高い能力と意欲をもって世界中から集まる「人材」であり、高い研究・教育水準をもって世界に門戸を広げている大学群と、積極的な起業・創業を許し、サポートする社会・経済体制が、彼等の意欲の現実化を支えているのである。

 「労働生産性」を高める第二の方法は、生産現場の発展途上国への移転や、非正規雇用・派遣社員・外国人労働者を増やすことによって「人件費の圧縮」を図る、すなわち "費用" として把握される投入労働力=生産力計算の "分母" を減らす方法である。
 高度経済成長期からバブル期にかけて進んだ「生産方式の改善」によって、日本の製造業は確かに製品の質、生産効率において、一時世界の頂点に立っていた。
 日本企業の多くは、その後も世界の政治経済の構造的変化を無視して「改善・効率化」に走り続け、小泉政権以降の自民党政権も同様の考え方で労働者派遣法や出入国管理法の積極的な改変(規制緩和)を進めてきた。その結果、今日では自動車産業を中心に完全な「外国人労働者依存」の状態が生じている。
 しかし、生産・管理のIT化が一定のレベルまで進んだことで、同じ手順で同じ製品を作り続ける限り、国内生産の効率化・省力化は限界に近づいてきた。また、中国・インドなどの新興国の生産能力が向上したことで、在来の製造品では競争力も失われることとなった。すなわち、もう "効率的に働く" ことなどでは、日本の労働生産性の向上は困難になっているのである。
 また、このような政策は、若年層を中心に非正規雇用で働く人々の割合の異常な増加と実質個人所得の減少を招いている。雇用労働者の非正規化、残業代打ち切りなどによって人件費を削れば、個々の企業の「見かけ上の生産性」「利益率」は向上したように見えるだろう。しかし、多くの企業で同じことを行えば、結果的に低賃金労働者ばかりが増加して貧困化が進み、将来への不安も加わって消費不況を招き、GDPの成長が止まり、国全体としての生産性は下がってしまう。現在の日本はそういう状態にあるのである。

 今国会で審議中の「働き方改革」なるものは、まさにこれまでの政策の延長・強化に過ぎない。提案されている法案は、まさに「人件費をさらに削るための裏技」と言う他ないもので、国全体の生産性の向上に資することなどあり得ない代物である。
posted by Cheshire Cat at 02:19| Comment(0) | 日本の政治

2018年02月12日

「日本企業、博士使いこなせず?」について

 2月11日の日経電子版に、「日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた」という記事が出た。
 重要な問題提起でもあるので、全文引用の上少し考えてみる。

 記事では、その原因として
 (1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない
 (2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない
という2つを例示している。

 (1)は全くその通りである。
 しかし、「役割が与えられず」などと言っている段階で既に絶望的。本来、管理職も専門職もすべて「役割」なのだが、そこに余計な "上下関係" が入り込んでしまっているのが多くの日本企業の現実である。経営陣が期待してスカウトしても、「新参者が生意気に」とか「博士と部長とどっちが偉いか」などというレベルで "生きていない" のである。日本の企業全体の組織・機構、人事管理における意識・感覚を根本的に変えて行かない限り解決できない問題だろう。

 (2)の後半<応用研究に対応できる人材が育っていない>もその通り。
 だが記事の指摘は極めて皮相的であって、誤解や誤った方向に話を導く危険性もあると感じる。
 筆者自身、かつて民間研究機関に在籍していたときに、文系・理系様々な分野の大学院生と(スカウトの狙いも含めて)面談した経験がある。また、大学に転じてからは若手の教員の公募・採用に多数関わってきた。その過程で度々痛感したことがある。それは、
 「私の専門は "この分野・このテーマ" だから、今更違うことは自信がない(やりたくない)」
と言う院生・若手研究者が大変多く、
 「大学院まで "鍛えて" きたのだから、どんな新しい分野・問題でも取り組む自信がある」
と言う人物が極めて少ないことだった。
 彼等は、「大学院修了、あるいは学位取得など、現代では基礎的能力の証明=スタートラインに過ぎないこと」、「こちらが欲しいのは "能力と意欲" であって 、彼等の狭く未熟な "専門" などではないこと」という最も基本的なことが全く解っていなかった。そして、それは決して「大学・大学院の教育」の問題だけでなく、もっと根の深い「人生観、価値観」の問題、幼少期からの「育てられ方」の問題ではないかと感じられたのである。

 <人材が育っていない>についての話の危険性というのは、財界や政府が常々「 "学者だけの閉じた世界" が問題、企業や官僚出身者を教員にすれば、もっと応用力のある学生が育つ」などと、根拠の無い主張を続けていること。この記事も、大喜びでその傍証とされる可能性があるということである。
 最後に、(2)の前半<提案力や構想力が乏しく>は日本の企業やメディアに特有の「勘違い」。それらの能力が最も必要なのは経営者自身であることを棚に上げて、 "幻の人材" に責を負わせているだけだ。


日本企業、博士使いこなせず? 採用増で生産性低下
日本経済研究センター分析
2018/2/11 20:39日本経済新聞 電子版


 日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた。一人前の研究者とされる博士人材は、海外企業では即戦力への期待も高いだけに意外な結果となった。日本では、企業が終身雇用制などに縛られて人材を使いこなせていない可能性や、大学で企業の研究現場で役立つ人材が十分に育っていないことが考えられるという。

 総務省や日本経済新聞社の調査から分析した。全社員に占める博士号取得者の割合が増すと、1人当たりの売上高などにあたる労働生産性が低下していた。2000年代の大半で同じ傾向だった。

 同センターは(1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない(2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない――などとみている。日本企業の雇用制度では優秀な人材が定着しにくく、大学の研究教育環境も世界に劣るとの見方もある。

 日本では毎年、1万5000人を超える博士号取得者が出ている。博士号を取得しても就職できない「ポスドク」が社会問題になるなか、人材の活用策が改めて議論になりそうだ。


posted by Cheshire Cat at 16:16| Comment(0) | 科学・技術・教育と社会