2018年08月23日

「修士・博士、日本だけ減少」について

 引用した記事では「研究力の衰退を示す結果」などと驚いて見せているが、 "何を今更" と呆れるばかりだ。
 この国では、大学が取り組む学術研究に対する予算や支援体制を削り続け、結果的に若い研究者や大学院生の希望・意欲を叩き潰してきたではないか。人文社会系や基礎理学系の研究・研究者を「役立たず」と嘲笑し、大学を企業経営者や官僚の支配下に置いて「改革」することに総力を挙げてきたのではないか。
 そしてその全てはこの国の政府・安倍政権が暴力的に推進してきたのであり、そのことを本気で批判し問題提起する報道を行おうとせず「見て見ぬふり」を続け、政権が狙う方向に国民を誘導する政策の片棒を担いできたのは大手メディアではないか。
 今日の状況についてなら、「安倍政権の努力によって、見事に結果が出ました」と "正直に" 報道すれば良いのだ。来春には安倍政権の目玉政策の一つとして、専門学校が看板を塗り替えただけの「専門職大学」という "画期的な新しい大学" が全国に誕生する。大手メディアの多くは、政権への忖度やら広告費欲しさからこの専門職大学を持ち上げる報道や広告を展開、少子化の下で必死に真面目に頑張ってきた地方の中小大学の息の根を止めることだろう。

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修士・博士
日本だけ減少…研究力衰退あらわ 7カ国調査

毎日新聞2018年8月22日 19時49分(最終更新 8月22日 20時23分)

 人口当たりの修士・博士号取得者が近年、主要国で日本だけ減ったことが、文部科学省科学技術・学術政策研究所の調査で判明した。日本の研究論文の質や量の低下が問題になっているが、大学院に進む若者の数でも「独り負け」で、研究力の衰退を示す結果といえる。
 比較可能な日米英独仏中韓の7カ国で修士・博士号の人口100万人当たり取得者数を、2014〜17年度と08年度で比べた。
 その結果、最新の修士号の取得者数は、中国が08年度比1.55倍の350人▽フランスが1.27倍の1976人−−などで、日本以外で増加。日本だけが08年度比0.97倍の570人と微減だった。
 博士号も同じ傾向で、韓国は1.46倍の279人▽英国は1.23倍の353人−−などと増える中、日本だけが0.90倍の118人と減った。内訳が明らかでない中国を除く6カ国で自然科学で比較しても、日本だけが修士・博士号取得者は横ばい、または減少していた。
 研究所によると、日本の取得者は自然科学に偏るが、他国では特に修士で人文・社会科学の取得者が多く、全体の取得者数に影響しているという。
 日本の博士号取得者は、06年度をピークに減少に転じた。取得後も多くが雇用が不安定な任期付き研究員にならざるを得ず、敬遠されたことも背景にあるとみられている。【酒造唯】

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2018年02月12日

「日本企業、博士使いこなせず?」について

 2月11日の日経電子版に、「日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた」という記事が出た。
 重要な問題提起でもあるので、全文引用の上少し考えてみる。

 記事では、その原因として
 (1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない
 (2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない
という2つを例示している。

 (1)は全くその通りである。
 しかし、「役割が与えられず」などと言っている段階で既に絶望的。本来、管理職も専門職もすべて「役割」なのだが、そこに余計な "上下関係" が入り込んでしまっているのが多くの日本企業の現実である。経営陣が期待してスカウトしても、「新参者が生意気に」とか「博士と部長とどっちが偉いか」などというレベルで "生きていない" のである。日本の企業全体の組織・機構、人事管理における意識・感覚を根本的に変えて行かない限り解決できない問題だろう。

 (2)の後半<応用研究に対応できる人材が育っていない>もその通り。
 だが記事の指摘は極めて皮相的であって、誤解や誤った方向に話を導く危険性もあると感じる。
 筆者自身、かつて民間研究機関に在籍していたときに、文系・理系様々な分野の大学院生と(スカウトの狙いも含めて)面談した経験がある。また、大学に転じてからは若手の教員の公募・採用に多数関わってきた。その過程で度々痛感したことがある。それは、
 「私の専門は "この分野・このテーマ" だから、今更違うことは自信がない(やりたくない)」
と言う院生・若手研究者が大変多く、
 「大学院まで "鍛えて" きたのだから、どんな新しい分野・問題でも取り組む自信がある」
と言う人物が極めて少ないことだった。
 彼等は、「大学院修了、あるいは学位取得など、現代では基礎的能力の証明=スタートラインに過ぎないこと」、「こちらが欲しいのは "能力と意欲" であって 、彼等の狭く未熟な "専門" などではないこと」という最も基本的なことが全く解っていなかった。そして、それは決して「大学・大学院の教育」の問題だけでなく、もっと根の深い「人生観、価値観」の問題、幼少期からの「育てられ方」の問題ではないかと感じられたのである。

 <人材が育っていない>についての話の危険性というのは、財界や政府が常々「 "学者だけの閉じた世界" が問題、企業や官僚出身者を教員にすれば、もっと応用力のある学生が育つ」などと、根拠の無い主張を続けていること。この記事も、大喜びでその傍証とされる可能性があるということである。
 最後に、(2)の前半<提案力や構想力が乏しく>は日本の企業やメディアに特有の「勘違い」。それらの能力が最も必要なのは経営者自身であることを棚に上げて、 "幻の人材" に責を負わせているだけだ。


日本企業、博士使いこなせず? 採用増で生産性低下
日本経済研究センター分析
2018/2/11 20:39日本経済新聞 電子版


 日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた。一人前の研究者とされる博士人材は、海外企業では即戦力への期待も高いだけに意外な結果となった。日本では、企業が終身雇用制などに縛られて人材を使いこなせていない可能性や、大学で企業の研究現場で役立つ人材が十分に育っていないことが考えられるという。

 総務省や日本経済新聞社の調査から分析した。全社員に占める博士号取得者の割合が増すと、1人当たりの売上高などにあたる労働生産性が低下していた。2000年代の大半で同じ傾向だった。

 同センターは(1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない(2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない――などとみている。日本企業の雇用制度では優秀な人材が定着しにくく、大学の研究教育環境も世界に劣るとの見方もある。

 日本では毎年、1万5000人を超える博士号取得者が出ている。博士号を取得しても就職できない「ポスドク」が社会問題になるなか、人材の活用策が改めて議論になりそうだ。


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2016年07月01日

理科離れより恐ろしい“社会科崩壊”

 ある時期から、学生の「社会科的知識・教養」が急激に低下・崩壊し始めたと感じている。
 恐ろしいのは、それをまったく問題にしないどころか、歓迎しているのかもしれない人々の存在である。

 具体的には、第一に最も基礎的なレベルの知識の欠落である。
 特に酷いのは20世紀以降の現代史。例えば、第二次世界大戦について、戦死者が最も多かった国は?、日本本土(現在の国土)に武力攻撃を加えたのはどの国の軍隊?、当時の日本軍には、いわゆる日本民族以外の民族出身の人々も軍人として参加していたが、彼らは何者だったのか?、などといった、ほとんど常識レベルの質問にも答えられない、あるいは奇想天外な回答をする学生が珍しくなかった。
 戦後史になると、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争がどのように始まり、終った(休戦した)のか、日本はそれらの戦争にどのように関わり、どんな影響(プラスとマイナス)を受けたのか、などについても惨憺たるものであった。
 この、そもそも何も知らないという状況は現代の世界についても同様である。
 例えば、国民1万人当りの公務員数では、日本は主要先進国の中で最低に近いのだが、ネット上のデマを鵜呑みにして「日本はもっと役人を減らさなければ」などと言う。市町村という「基礎自治体」についても同様で、日本だけが異常に合併を繰り返した結果極端に巨大化・少数化してしまっていること、他の先進国では人口100人・200人の村など決して珍しくなく、市町村の数も遥かに多いこと、などを全く知らない。
 さらには、トヨタが世界有数の自動車メーカーであることは(流石に)知っていても、日本国内で生産されているのは全体の半分弱に過ぎないこと、そして、国内生産の相当部分を支えているのは、日系人という外国人労働者であることも正確には知らない。

 悪口や文句を言いたいのではない。
 現代史や現代世界の知識が極端に欠けているのは、要するに高校までの歴史教育・地理教育が避けて(逃げて)きたことの結果であり、彼らは被害者と見るべきだからである。
 メディアは定期的に「今どきの若者の“学力”」をネタにする。分数の計算だの四字熟語の読みだのが“如何にできないか”を嘲笑し、囃し立てる。政府は「理科離れ」が問題だと騒ぐ。
 だが、民主社会を支える最も基本は、独立した自由な信念と意志をもった市民の存在である。そのために不可欠な「社会科的知識・教養」が危うい状態であることを、何故だれも問題にしないのだろうか。
 むしろ恐ろしいのは、この現実をまったく問題にしない、もしかすると歓迎しているのかもしれない人々の存在である。もしも今回の参議院選挙で、18歳〜24歳あたりの票が圧倒的に与党に集まる、あるいは棄権が多数に上るようだったら、それは彼らの“勝利”を意味するのではないだろうか。
posted by Cheshire Cat at 07:31| Comment(0) | 科学・技術・教育と社会