2018年01月29日

異常に「過去を忘れる」日本人

 最初に、1月29日時点での英国の百科事典サイト ENCYCLOPEDIA BRITANNICA のトップ・ページ(一部)を示す。赤丸で囲った項目を見て欲しい。世界は日本人のように「過ぎたことは、何でも忘れ」はしないことが良く判るではないか。
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 韓国のいわゆる慰安婦問題や中国の南京事件などについて、事実そのものを否定するネトウヨの意見などはどうでも良いのだが、特別に "嫌韓・反中" ではない多くの市民の中にも「過ぎたことをいつまでも!」とか「あまりに執拗な韓国・中国!」といった気分が漂っていることが非常に気になる。
 例えば、日韓合意とは、「過去の戦争時に日本側が韓国(人)の一部女性に対して行った人権侵害行為に関する "賠償請求等" についての国家間交渉」の合意であり、今後、韓国政府は日本政府に対してこの件についての賠償請求等は(不可逆的に!)一切行わない、という極めて事務的な手続きである。

 重要なことは、この手続きには「それらの(人権侵害の)事実を "無かったこと" にする」などという意味は一切含まれていないことである。しかし、そこを多くの日本人が「勘違い」していると強く感じる。
 「では、いつまで謝れば気が済むのだ!」と、日本人の多くが苛立つのだが、「水に流す」とか「無かったことにする」という "思想" は国際社会では一切通用しないことを学ぶべきである。「やってしまったこと」については、 "永遠に謝り続け" 、 "反省の態度を示し続け" なければならない、というのが国際社会の常識なのだと、きちんと知るべきである。

 この「謝る」「反省の態度を示す」ことについても、日本では(土下座○○と言うような)大きな誤解があるように思う。世界的に求められるのは「個々人の態度」などではない。国家として、義務教育段階できちんと教育、世代を越えて過去の負の歴史を認識し続けること、そのような過去を肯定・美化し、正当化するような言説・行動を規制する法律・条例を定め、運用することの二つである。ドイツにおける「反ナチ法」が後者の例であって、ナチスやヒトラーを賛美するような言説・デモは禁止され、強行すれば逮捕される。

 ところが、日本で公的な立場からこの世界の常識に沿った行動をしているのは、常に「アジアの人々に多大な苦痛を与えた過去を反省し・・」と言い続けておられる天皇陛下だけ、と言っても過言ではない。一方で、過去の事実を否定し、正当化するような言説(例えば日本会議系議員らの)が野放しであるばかりか、いわゆるヘイト・デモについても理念法がやっと制定されただけで、事実上放任されている。また、学校教育においても、いわゆる "つくる会" 系の過去を美化する教科書が出現し、それを行政の圧力で広域採択させることが全国で続いている。さらには、従軍慰安婦について事実を歪曲し、偏見を煽るような展示イベントを、公共の文化施設で開催させた例まであるのである。

 今回、韓国の新大統領が述べたこと「再交渉は求めないが、謝罪して欲しい」は、「世界的には当然」のメッセージであり、故に海外のメディアは全く問題にしていないのだが、自民党議員の一部や政府首脳は "激高" して見せ、国内メディアもそれを(いつものように)無批判に垂れ流し、市民の "嫌韓" 感情を煽っている。
 日本軍が、第二次世界大戦中にアジア太平洋地域を侵略したこと、そこでの "活動" の中に、多くの人道に反する行為、国際法・条約に違反する行為があったことは明らかな事実であり、その末裔である現在の日本国民が、今後も「世界で名誉ある地位」に居たいのであれば、そのことを「忘れず」 、二度と繰り返さないように "明示的" に「努力し続ける」義務があるのである。

 南京事件や重慶の市街地爆撃、慰安婦問題などについて、政府自らが経緯を明らかにし、誠実な反省を世界に発信すること。そして、それらの事実を否定しあるいは美化するような言説・行動を正しく規制する法令を整備・公布することが緊急の課題である。それらの法が成立すれば、一部の偏った教科書を公教育で使用することも不可能になる。
 それらを実行してこそ、同じ大戦中に米軍が行った広島・長崎の(戦略上明らかに不必要な)原爆投下や、東京を始めとする市街地(一般市民)への焼夷弾爆撃についても、真に対等の立場でその「非人道性・犯罪性」を問うことが可能になるのである。
posted by Cheshire Cat at 17:38| Comment(0) | 日本の社会

2017年12月11日

振り込め詐欺について再び


 振り込め詐欺が減らない。そのために、銀行やコンビニのATMに見張りを付けるとか、引出額や振込額に年齢制限をかけるなどという騒ぎになっている。それはそれで一定の効果はあるだろうが、元々の「電話」について、重要な幾つかのことを警察やメディアが殆ど言わないのが不可解である。

 振り込め詐欺被害者には、最初の「電話」の段階で既に下記のような問題がある場合が多い。
  1.一人暮らしなのに固定電話を所有
  2.その電話番号を公開している
  3.電話が鳴ったら“無条件に出る”
  4.電話に出たら“こちらから先に名乗る”
 これらを止めるだけで、被害に遭う可能性はかなり減る筈なのだ。

 私自身もそうだが、一人暮らしだからこそ携帯を使うべきだ
 不穏なことを言うようだが、仮にトイレで身動きできなくなっても、出先で帰り道が分からなくなっても携帯を身に付けていれば助けを求めることができる。
 実際、最新の通話先が私だった友人が街頭で倒れ、「この携帯をお持ちの方を救急搬送しました」と消防から電話を貰って、彼の親族に連絡した経験も有る。
 また逆に、親族や友人にとっても、外出中や庭に居るなどで「電話に出ない」といった可能性が減ることで、より迅速に異変を察知することができる。

 電話番号は一切非公開にすること
 “自宅” の電話番号は極めて重要な「個人情報」なのだから、一切非公開が当然、必要な親族や友人にだけ個人的に教えておけば良い。そして、相手の番号を登録しておけば、鳴った瞬間に誰からか判る。
 例えば、町内会名簿などでは詳しい住所も判ってしまう。そして、何よりも馬鹿げた電話帳という存在。また、詐欺業界には「標的リスト」が拡散していて、そのために繰り返し被害に遭う人々が居ることも判っている。
 だから、既に(電話帳などで)公開されたことが有る場合は、番号を変えることが必須だ。

 相手の判る電話以外は出ない。出てもこちらからは名乗らない
 大昔から、「電話が鳴ったら急いで出る、そして自分から名乗る」という奇妙なというか馬鹿げた「作法」が横行しているが、これを “絶対にやらない” ことが、被害を防ぐ第一歩である。
 そもそも、上記のように登録した親族・友人 “以外の知らない番号” から、あるいは “番号非表示” でかかってきた電話など「出ない」で良いのだ。
 また、電話に出てしまっても、こちらからは沈黙あるいは「ハイ」だけにしていれば、そこで第一段階のチェックができる。セールス電話も含め “勝手にかかってくる” 電話では、こちらの姓名すら知らない、あるいは漢字の読み方が判らないというケースが珍しくない。相手の名前も正しく呼べないような電話は「怪しい奴」に決まっている。
 いきなり、「かあさん」などと叫ばれても、絶対に「○○か?」などと息子の名前を呼びかえしてはいけない。要するに、こちらからは「絶対に名乗らない」と意識を変えることが必要だ。

 ATMやバイク便など、最終段階で食い止めることも必要だが、犯人にとっての「アプローチ」の段階について、もっと真剣に「防御策」を考えるべきだと言いたい。
posted by Cheshire Cat at 19:16| Comment(0) | 日本の社会

2017年04月19日

地方創生担当相の暴言の背後にあるもの

 地方創生担当という奇妙な役職の閣僚が「暴言」事件を起こした。

 この件で重要なことは、政府の閣僚が「博物館・美術館に“学芸員など居なくて良い”」と公言したことであり、二条城で生け花が許されたかどうかなどという瑣末なことではない。
 この人物は、「博物館や美術館の成果・評価を決定する最大の要因は“学芸員”という専門職の質と量である」という先進国なら当然の常識を、真っ向から否定したのである。

 実は、日本ではこのような「思想」が意外に広く共有されている。
 おそらくは、15年戦争時と戦後の高度経済成長期に形成されたものと思われ、戦争中の「進め一億火の玉だ!」、高度成長期の「24時間戦えますか?」という言葉に現れるような価値観で測って、体力の劣る者・戦闘意欲に欠ける者等が就く価値の低い職種、と決めつけたことが未だに残存しているのだと考えられる。
 学芸員にとどまらず、図書館司書、保存文書等の管理専門職(アーキビスト)などが、一様にこの“差別的視線”の対象となっている。

 問題は三つの側面を持つ。
 第一は、そもそも博物館・美術館、図書館、文書館といった機関が、国家・国民の歴史と未来にとって極めて大切なものであるという基本的な教養の欠落である。
 第二には、それらの機関で中心となって働く専門職の人々に求められている高度な専門性、その仕事の重要性をまったく認識していないことである。
 そして第三には、それらの機関が「対象とする文化財」と「専門性をもった職員組織」と「必要な設備・機能を備えた施設」という3つの不可欠な要素で構成されるという認識の欠落である。
 これらの無知・無教養は、大阪の橋下が世界的に評価の高かった「国際児童文学館」の専門職員を解雇し、資料だけを府立図書館に保存させ、九州某市の市長が市民の公共財産であるべき公立図書館を新古書店企業に丸投げ(挙げ句にその関連企業に天下った)した事例などに如実に現れている。

 遠く遡れば、本来上記の3要素を統合した意味である、ライブラリー、ミュージアム、アーカイブという名称に、図書、博物、文書と全て「建物」だけを指すかのような訳語を当てたことから始まっているのかもしれないが・・・。

 メディアは相変わらず「生け花ができたか?」といった瑣末なことにしか目を向けず、この閣僚が「学芸員という専門職の存在そのものを否定した」事実には目を向けようとしない。
 大手メディア企業のサラリーマン記者たちも、実は同様の差別意識を隠し持っているのかもしれない・・・。

posted by Cheshire Cat at 02:08| Comment(0) | 日本の社会