2016年07月01日

理科離れより恐ろしい“社会科崩壊”

 ある時期から、学生の「社会科的知識・教養」が急激に低下・崩壊し始めたと感じている。
 恐ろしいのは、それをまったく問題にしないどころか、歓迎しているのかもしれない人々の存在である。

 具体的には、第一に最も基礎的なレベルの知識の欠落である。
 特に酷いのは20世紀以降の現代史。例えば、第二次世界大戦について、戦死者が最も多かった国は?、日本本土(現在の国土)に武力攻撃を加えたのはどの国の軍隊?、当時の日本軍には、いわゆる日本民族以外の民族出身の人々も軍人として参加していたが、彼らは何者だったのか?、などといった、ほとんど常識レベルの質問にも答えられない、あるいは奇想天外な回答をする学生が珍しくなかった。
 戦後史になると、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争がどのように始まり、終った(休戦した)のか、日本はそれらの戦争にどのように関わり、どんな影響(プラスとマイナス)を受けたのか、などについても惨憺たるものであった。
 この、そもそも何も知らないという状況は現代の世界についても同様である。
 例えば、国民1万人当りの公務員数では、日本は主要先進国の中で最低に近いのだが、ネット上のデマを鵜呑みにして「日本はもっと役人を減らさなければ」などと言う。市町村という「基礎自治体」についても同様で、日本だけが異常に合併を繰り返した結果極端に巨大化・少数化してしまっていること、他の先進国では人口100人・200人の村など決して珍しくなく、市町村の数も遥かに多いこと、などを全く知らない。
 さらには、トヨタが世界有数の自動車メーカーであることは(流石に)知っていても、日本国内で生産されているのは全体の半分弱に過ぎないこと、そして、国内生産の相当部分を支えているのは、日系人という外国人労働者であることも正確には知らない。

 悪口や文句を言いたいのではない。
 現代史や現代世界の知識が極端に欠けているのは、要するに高校までの歴史教育・地理教育が避けて(逃げて)きたことの結果であり、彼らは被害者と見るべきだからである。
 メディアは定期的に「今どきの若者の“学力”」をネタにする。分数の計算だの四字熟語の読みだのが“如何にできないか”を嘲笑し、囃し立てる。政府は「理科離れ」が問題だと騒ぐ。
 だが、民主社会を支える最も基本は、独立した自由な信念と意志をもった市民の存在である。そのために不可欠な「社会科的知識・教養」が危うい状態であることを、何故だれも問題にしないのだろうか。
 むしろ恐ろしいのは、この現実をまったく問題にしない、もしかすると歓迎しているのかもしれない人々の存在である。もしも今回の参議院選挙で、18歳〜24歳あたりの票が圧倒的に与党に集まる、あるいは棄権が多数に上るようだったら、それは彼らの“勝利”を意味するのではないだろうか。
posted by Cheshire Cat at 07:31| Comment(0) | 科学・技術・教育と社会
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