2018年02月12日

「日本企業、博士使いこなせず?」について

 2月11日の日経電子版に、「日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた」という記事が出た。
 重要な問題提起でもあるので、全文引用の上少し考えてみる。

 記事では、その原因として
 (1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない
 (2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない
という2つを例示している。

 (1)は全くその通りである。
 しかし、「役割が与えられず」などと言っている段階で既に絶望的。本来、管理職も専門職もすべて「役割」なのだが、そこに余計な "上下関係" が入り込んでしまっているのが多くの日本企業の現実である。経営陣が期待してスカウトしても、「新参者が生意気に」とか「博士と部長とどっちが偉いか」などというレベルで "生きていない" のである。日本の企業全体の組織・機構、人事管理における意識・感覚を根本的に変えて行かない限り解決できない問題だろう。

 (2)の後半<応用研究に対応できる人材が育っていない>もその通り。
 だが記事の指摘は極めて皮相的であって、誤解や誤った方向に話を導く危険性もあると感じる。
 筆者自身、かつて民間研究機関に在籍していたときに、文系・理系様々な分野の大学院生と(スカウトの狙いも含めて)面談した経験がある。また、大学に転じてからは若手の教員の公募・採用に多数関わってきた。その過程で度々痛感したことがある。それは、
 「私の専門は "この分野・このテーマ" だから、今更違うことは自信がない(やりたくない)」
と言う院生・若手研究者が大変多く、
 「大学院まで "鍛えて" きたのだから、どんな新しい分野・問題でも取り組む自信がある」
と言う人物が極めて少ないことだった。
 彼等は、「大学院修了、あるいは学位取得など、現代では基礎的能力の証明=スタートラインに過ぎないこと」、「こちらが欲しいのは "能力と意欲" であって 、彼等の狭く未熟な "専門" などではないこと」という最も基本的なことが全く解っていなかった。そして、それは決して「大学・大学院の教育」の問題だけでなく、もっと根の深い「人生観、価値観」の問題、幼少期からの「育てられ方」の問題ではないかと感じられたのである。

 <人材が育っていない>についての話の危険性というのは、財界や政府が常々「 "学者だけの閉じた世界" が問題、企業や官僚出身者を教員にすれば、もっと応用力のある学生が育つ」などと、根拠の無い主張を続けていること。この記事も、大喜びでその傍証とされる可能性があるということである。
 最後に、(2)の前半<提案力や構想力が乏しく>は日本の企業やメディアに特有の「勘違い」。それらの能力が最も必要なのは経営者自身であることを棚に上げて、 "幻の人材" に責を負わせているだけだ。


日本企業、博士使いこなせず? 採用増で生産性低下
日本経済研究センター分析
2018/2/11 20:39日本経済新聞 電子版


 日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめた。一人前の研究者とされる博士人材は、海外企業では即戦力への期待も高いだけに意外な結果となった。日本では、企業が終身雇用制などに縛られて人材を使いこなせていない可能性や、大学で企業の研究現場で役立つ人材が十分に育っていないことが考えられるという。

 総務省や日本経済新聞社の調査から分析した。全社員に占める博士号取得者の割合が増すと、1人当たりの売上高などにあたる労働生産性が低下していた。2000年代の大半で同じ傾向だった。

 同センターは(1)企業の現場で適切な役割が与えられず、博士人材の専門能力が生きていない(2)提案力や構想力が乏しく、企業の応用研究に対応できる博士人材が大学で育っていない――などとみている。日本企業の雇用制度では優秀な人材が定着しにくく、大学の研究教育環境も世界に劣るとの見方もある。

 日本では毎年、1万5000人を超える博士号取得者が出ている。博士号を取得しても就職できない「ポスドク」が社会問題になるなか、人材の活用策が改めて議論になりそうだ。


posted by Cheshire Cat at 16:16| Comment(0) | 科学・技術・教育と社会