2016年04月23日

「元教え子の10代少女誘拐」という事件について(つづき)


 事件の概要は前の記事で書いたとおりであるが、「事実経過」とは別に、男性(および少女)の関係者の「コメント」にも気になる点がある。

 第一に、男性の勤務先の上司。
 「逮捕は大変遺憾であり、深くおわびする。全庁を挙げて綱紀粛正に努める中で、このような事態を招いたことを大変深刻に受け止めている」
 揚げ足取りをするつもりはないが、「罪を犯したこと」「事件を起こしたこと」ではなく、「逮捕」が大変遺憾であるというのは、どういう意味なのだろうと思う。後半の「綱紀粛正」とか「事態を招いて・・」という言葉にも微妙な違和感がある。
 全くの憶測だが、この上司は、男性が少女について個人的に“深入り”していたことを薄々知っていたのではないか、という気がする。

 第二に、同じく勤務先の「担当者」とされる人物。
 「・・・ご家族の方にただただ申し訳ない」
 ここでも、「被害に遭われた方(少女!)」ではなく「ご家族に申し訳ない」とは、一体どういうことなのだろうか。

 この種の「事件」では、“被害者の人権”を守るという大原則から、ことの詳細や背後の事情が明らかにならないことが多い。この件も、表面に見えてない、あるいは隠されている部分が、まだまだ大きいのではないかという気がする。
posted by Cheshire Cat at 18:42| Comment(0) | 日本の社会

「元教え子の10代少女誘拐」という事件について

 静岡で起きた「元教え子の10代少女誘拐」という事件、実に不可解な点、気になる点の多い事件である。

 第一に、各社の報道内容を詳しく見ても、この事件が「被害者とされる少女の“家出”と、犯人とされる男性による“少女の保護者に無断での同居”」という以上の何も見えてこないことである。もちろん、“保護者に無断での未成年者との同居”は違法行為であるが、「誘拐」という言葉のもつ社会的なインパクトとは大きく異なる。
 警察側は当然「犯罪行為があった」という前提で発表しているのだから、そのことを裏付ける情報は積極的に開示しているはずである。にもかかわらず、少女が暴力的に、あるいは騙されて“連れ去られた”ということは全く示唆されてない。また、少女が“監禁あるいは監視されていた”という情報も無いばかりか、「自由に外出、飲食店でアルバイト」と言う状況が発表されている。つまり、何時でも“逃げ出す”“助けを求める”ことはできたのである。
 少し前に起きた別の「女子中学生誘拐事件」では、騙して連れ去り、監視下において洗脳する、ということが行われたようである(それでも、被害者は逃げ出している)が、今回の場合、男性と少女の事前の関係、“失踪”前後の状況、“救出”時の状況が、それとは全く異なっている。

 第二に、この(産経の)記事では「・・保護者からの情報・・捜索・・発見・・」となっているが、他社の記事ではより明確に、保護者(母親)から「少女がこの(男性の)住所に居る」という連絡を受けて少女を“保護”したというのである。
 少女本人は自由に行動している。“保護者”はその所在を正確に知っている。“犯人”は暴力団員でも薬物中毒者でもない、真面目に勤務を続けている県職員である。例えば、男性の勤務先の上司に伝えて、同行の上で男性宅を直接訪問する、といった方法も充分考えられるではないか。どうして警官隊を動員しなければならないのだろうか。
 16〜17歳の“少年・少女”が一般的な意味で「社会的に保護されるべき存在」であるのは確かである。ただ、その子たちには、保護者に逆らう「自己決定権」は一切認められないのだろうか。
 「施設に入れて(助けて)」という子どもの必死の叫びを無視して親元に送り返し、殺させてしまった児童相談所があった。それは極端な例だとしても、親が「誘拐だ!」と主張するだけで、現実の(被害・危害の)状況を冷静に観察・判断することもなく、警察力を用いて“保護”し“連れ戻す”だけで良いのだろうか。
 この事件で、この男性は熱意を持って取り組んできた仕事も将来の夢も全て失うことになる。それを知ったとき少女の心も大きく傷つく、ということは考えなくて良いのだろうか。

 記事全体から強く印象づけられるのは、この少女には以前から「居場所が無かった」のではないかということ、そして今回、また束の間の居場所を失ったことになるのではないか、ということである。
 「家出少女をかくまうと、誘拐罪になる」という事案は以前にも起きている。法律の解釈・運用によっては、当然そうなることは確かだが、釈然としないものが残る。
 

元教え子の10代少女誘拐 容疑の静岡県職業訓練校職員を逮捕
産経新聞 2016.4.23 08:30更新


 10代半ばの飲食店店員の少女を誘拐したとして、静岡県警は22日までに、未成年者誘拐の疑いで、県立あしたか職業訓練校技師の吉田成輝(まさあき)容疑者(26)=沼津市大岡=を逮捕した。吉田容疑者は平成24年4月に県職員となり、昨年4月から同校コンピュータ科に職業訓練指導員として勤務。同校によると、少女も昨年4月に入校しており、吉田容疑者の教え子だった。

 吉田容疑者の逮捕を受け、県は22日、「逮捕は大変遺憾であり、深くおわびする。全庁を挙げて綱紀粛正に努める中で、このような事態を招いたことを大変深刻に受け止めている」とする伊藤篤志・経営管理部長のコメントを発表。県としての処分についても「捜査の状況を踏まえて厳正に対処する」とした。

 逮捕容疑は昨年8月上旬、県東部で元教え子の少女を未成年者と知りながら誘拐した疑い。吉田容疑者は調べに対し、「間違いありません」と容疑を認めている。

 県警によると、少女が失踪した昨年8月に保護者が行方不明者届を出しており、保護者からの情報で少女の立ち回り先を捜索していたところ、今月21日に沼津市内で少女を発見。少女にけがはなく、「男と一緒に暮らしている」と話したため、少女を保護した上で、勤務先から外出していた吉田容疑者を逮捕した。

 2人は吉田容疑者のマンションで同居していたが、少女は自由に外出できていたとみられ、1カ月ほど前からは飲食店のアルバイトに出ていたという。

 吉田容疑者は勤務先の職業訓練校で身体障害者を対象にパソコンでの文書作成などを教えており、県は「真面目な青年で勤務態度に問題はなかった」としている。

 少女は昨年4月に全寮制の同校に入校し、吉田容疑者から指導を受けていた。しかし、同級生をいじめるなどして同6月に退寮処分となり、自宅から通学を続けた後、8月以降に吉田容疑者のマンションで同居を始めたとみられている。同校に対しては母親が「家に帰っておらず、本人と連絡が取れない」として少女の自主退校を申し出ていた。

 吉田容疑者の逮捕を受け、同校の担当者は「全く寝耳に水の事態で戸惑っている。行方を案じていたご家族の方にただただ申し訳ない」と話した。

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http://www.sankei.com/affairs/news/160423/afr1604230011-n1.html


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2016年04月20日

「タイミングのいい地震」発言の後で


 片山という代議士が、熊本・大分の地震災害について「・・・タイミングのいい地震・・」と発言して、すぐに撤回した。
 相変わらずの失言(というより暴言)で、あまりの程度の低さに論評する気にもならないが、ここでとりあげたいのは、その後の「謝罪の弁」の方である。この人物は、一通り(型通り)謝って見せた後で、「・・誤解を与えたとすれば・・」と発言しているのである。
 同様のフレーズは、総理大臣以下多くの政治家が濫用していて、総理大臣の場合はその後に「・・丁寧にご説明して・・」という最悪のせりふが続くことが多い。
 これらの政治家たちは、どうやら中学レベルの「国語力」も持ち合わせていないらしい。というのも無理な評価で、実態は“異常な傲慢さ”の発露そのものであると思う。
 「誤解」というのは、文字通り「誤って・理解」することであり、その「誤り」の責任は当然「誤った本人=話を聞いた側」にあることになる。つまり、「(私が)誤解して済みません」と謝る、「誤解するな!」と相手をたしなめる、という使い方が基本である。
「誤解させた、とすれば・・」などという発言には、自分の発言についての真剣な反省も、傷つけた他者に対する心からの謝罪も、ほとんど含まれていない。あるのは、自己保身、居直り、そして相手に対する“侮蔑”“見下し”である。
 極言すれば、「ハイハイ!(馬鹿なあんたらに)“誤解”させるようなことを言ったワタシが悪かったんでしょ。ドーモ済みませんねェ!」と言ってるようなものである。
 「ことば」は人格の一部である。こういう代議士が何期にもわたって選ばれ、国会議員を続けているのだから、この国の未来が本当に心配だ。

posted by Cheshire Cat at 00:47| Comment(0) | ことば・日本語

2016年04月04日

“外国人観光客”をめぐって

 毎日新聞は、朝日が少しおかしくなって以降、私が最も信頼するジャーナリズムの一つなのだが・・・

 4月4日のネット版「経済プレミア」に次のような記事が出ている。

[プロが読み解くニッポン経済]
 訪日観光3000万人がもたらす人と人との国際理解
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160331/biz/00m/010/032000c?fm=mnm

 著者は、メットライフ生命副会長・元日銀理事の平野英治さん。このタイトルのとおりのことを淡々と穏やかに述べているのだが、最初に、かつて日本人も海外で「爆買い」を行い顰蹙を買っていた時代があったことに触れた上で、
訪日外国人の行動やマナーに驚くこともあるし、それは今後も続くだろう。だが一昔前の日本人海外観光客の振る舞いを目にしてきた身としては、彼らの行動が人ごとにも思えないのだ。かつて我々もたどった道だと、少し寛大な気持ちで接することができればと願う。

と述べるなど、私も深く共感できる論旨となっている。また、今後の政策についても説得力のある提言がされている。要するに優れた、素晴らしい論説なのである。

 ところが、おそらく著者の平野氏には全く責任のないことで、私はこの「記事全体」には否定的な印象を持たざるを得ない。
 それは、このブログの以前の記事にも書いたことと同様の「歪んだイメージ画像」がここでも頻出しているからである。

 平野氏が、「中国人観光客」「近隣諸国との相互理解・友好」といったことを特にとりあげて述べているにもかかわらず、記事中にランダムに挿入された写真に写っているのは明らかに「非アジア系」の人々がほとんどなのである。(キャプションが無いことから見ても、編集段階で勝手に挿入されたものであろう)
 「反中・嫌韓」言説を憂慮して見せながら、一方では「中国・韓国・台湾からの観光客など、この日本にとって大切な客人ではない」と言わんばかりのイメージ戦略を展開する。
 そう指摘すれば、おそらく「そんな悪意など断じて無い、つい習慣で・・・」という返事が返ってきそうだが、そうだとすれば、それは根深い「(対欧米)劣等感」の現れと言う他無い。
 “西洋を仰ぎ見て、アジアを見下す”、この国のメディアは100年前と全く変わってないのだろうか。

posted by Cheshire Cat at 23:02| Comment(0) | 報道・ジャーナリズム