2015年10月16日

モニュメントと言い放つ異常

 小さいことのように見えて、ウラにある "重大な" 本音が透けて見えている、ということがある。
 「五輪担当相」なる人物が、更地になった建設予定地(旧国立競技場跡地)に立って述べた「言葉」に注目する。

 「安保法制」で最近やや影が薄くなっているので、要点を繰り返す。
 国立競技場の計画白紙撤回においては、工事費が最大の焦点だったことは当然だが、本来主役であるべき選手や競技関係者からも痛烈な批判が出ていたこと、オリンピック後の維持管理の見通しについても異常な甘さ、と言うか好い加減さが指摘されていたこと、を無視してはならない。
 すなわち、工事費や景観以外の主要な批判は大きく「競技施設としての性能=使い勝手」と、スポーツ以外の利用も含む「運用=収益確保につながる施設計画・運営計画」の二つに集約されていた。どちたも極めて現実的かつ重要な問題である。
 前者については、世界を代表する最高の選手たちに無駄なストレスを与えることなく競技が実施され、観客も快適に観覧できる設計でなければならないということである。工場の建設にたとえれば「高い生産性」「高度に安全で、職員が快適に働ける環境」の確保が最優先であって、外見の "インパクト" のためにそれらを犠牲にするなど言語道断、というのと同じである。
 後者については、大手メディアでも再三とり上げられたので「金の話」は繰り返さないが、この種の施設では「大は小を兼ね "ない" 」ことを強く指摘しておきたい。観客が確実に6万人を超えるようなイベントは、オリンピックとワールドカップ・サッカーを除けば殆ど存在せず、どちらも日本で開催されるのは数十年に一度に限られる。すなわち、健全な維持運営=高い利用率を確保するためには3万人〜5万人程度のイベントに、快適かつ合理的な利用料で提供できることが必須なのである。これについては、ロンドンオリンピックのメインスタジアムが、当初から五輪後の「減築=縮小改築」を見込んだ設計であったことが良い参考になる。

 遠藤と言う人物は、森喜朗とのラグビーコネクションによって「五輪担当相」になったらしいが、上に要約したような "国立競技場問題" をめぐるこれまでの経緯をまったく理解していないようだ。
 彼は、更地になった建設予定地(旧国立競技場跡地)に立って以下のように述べたというのである。

「レガシーとして残るもの、国民にとって最高のモニュメントといえるものを(工費の)上限の枠内で造っていきたい」
(2015年10月13日17時10分 スポーツ報知)



 いやはや、レガシーでモニュメントである。
 選手や競技のことなど無関心。この巨大施設を、今後何十年にもわたって誰がどうやって維持運営して行くのかについても、ナーンも考えてない。
 「大恩人・森センセイのモニュメント」を立派に造ることでアタマが一杯なのだろう。

モニュメント:
ある事件・人物などの記念として建てられる建造物。記念碑・記念像など。
(スーパー大辞林)


posted by Cheshire Cat at 18:59| Comment(0) | 日本の政治