2018年07月15日

政治意識の気になる傾向

 Quora という質問ー回答サイトがあって、私自身が投稿した回答の一部を Facebook ページでも紹介している。比較的高学歴、専門職の人々が多く参加していることもあって、本来は健全な知的好奇心に根ざした質問や、キャリアップの方法などに関する質問が多いサイトである。
 そこで最近気になる傾向が見えてきた。それは政治システムに関する質問で、下に示す2つの質問に代表されるような「政治家や議会の存在を否定する」タイプの質問が目立つようになったこと、そしてそれが比較的若い人々からの質問であることである。
 『政治家は増税したり、福祉を切り捨てたり、戦争を起こしたりして国民を苦しめます。世界中から政治家がいなくなれば幸福な世界になりますか?』
 『今の日本の政界を一掃し、古い慣習みたいなものやコネを取っ払い、年齢問わず有能な非政治家(経営者や学者、教授や博士、スタートアップの若者など何でもいいのですが)が、会社組織のような形態で政治をし、風通しをよくし、無駄を省いたら、何か変わりますか?』

 またこれらとは異なるが、国会での与野党の議論を「無駄」「茶番」などとする、あるいは普通選挙という選挙制度そのものを否定する、といった内容を含む質問も散見される。
 これは極めて危険な、そして恐ろしい傾向であると考える。ここには「国民主権」への無自覚と「面倒な議会制民主制度」への嫌悪、そして「賢者独裁」への憧れすら見えているからである。
posted by Cheshire Cat at 09:07| Comment(0) | 日本の政治

2018年07月06日

原発再稼働は必要なのか

 ここでは、原子力発電のもつ潜在的な危険や、使用済み核燃料や放射性廃棄物の最終的な処分が不透明であることなどは敢えて考慮せず、電力需給の面からのみ原発の再稼働の必要性について検討した。
 結論を言えば、現在の(国全体としての)電力需給の動向から見て、原子力発電所を再稼働する必要は無いと考える。その理由を以下に述べる。

1.原発停止で何か起こったのか?
 3.11直後の「計画停電」とそれを契機とする「電力不足」宣伝などが記憶にあるかもしれないが、あれは明らかに政策的・意図的な「誘導」であった。
 当時、東京電力管内において震災直後に停止した原発は福島第一・第二 "だけ" で、失われた出力は合計721万kW、柏崎刈羽原発は「動いていた」のである。柏崎刈羽原発が全機停止したのは翌年2012年の3月で、その時には計画停電などとっくに終っていた。
 震災直後に首都圏で計画停電を迫られることになった本当の理由は、東京電力の複数の大規模火力発電所が地震と津波で被災・停止、一部は数日中に復旧したが、福島の原発を上回る約1000万kWの電力が長期にわたって供給されなくなっていたためである。ただし火力発電所というのは言わば普通の工場と同じなので、緊急工事の結果早いところで2ヶ月、遅れたプラントでも4ヶ月強で復旧、停電が長引くことは無く、8月の猛暑を切り抜けることができた。つまり、柏崎刈羽まで止めたことと、計画停電とはまったく関係がなかったのである。

2.原発による電力は "安い" のか?
 決して安くはない。ここでは詳細は省略するが、この件についての政府や電力会社の発表は、大きく次の2点を隠す、あるいはすり替えることによって安く見せかけているだけである。
 第一は、実際にかかる費用(本当の原価)に含まれるべきなのに、電気料金とは別に国(=税金)が支出している費用が大きいこと。見かけの電気料金には含まれなくても、国民全体で負担していることには変わりない。
 第二に、原発は簡単に止めたり出力を変えたりできないため、揚水式発電所という巨大なバッテリーを必要とするのだが、原発がなければ全く不要な設備であり、そこでの発電コストは非常に割高である。公表数字はそれを関係のない一般の水力発電に合算して見かけのコストを上昇させ、一方で原発の費用を低く見せているのである。
 これらの問題については立命館大学の大島教授が追及していて、下記の資料にまとめられている。(2010年に発表されたもので、3.11による "にわか反原発" ではない)
「原子力発電は安い」は嘘。その理由は?

3.電力は本当に足りるのか?
 3.11 の後、計画停電の経験などもあって、日本では市民も企業も節電・省電力への関心を一挙に高めることとなった。特に企業の反応は大きく、工場や店舗の全ての照明をLED化、工場の大屋根全面に太陽電池パネルを設置するなどといったことが普通になり、熱と電力を効率良く利用するコージェネレーションも急速に普及した。この節電・省電力の効果が絶大なことは図1を見れば明らかである。
 また、家庭用電力でも家電製品の電力消費量などが飛躍的に改善され、下の図2のように1世帯あたりの電力消費量も明らかに低下している。ただ全体の推移で見ると家庭用電力消費量は微増しているのだが、人口は減り始めても世帯数は未だ増加が続いているためである。ただそれも時間の問題であることは言うまでもない。それでも政府は、既に人口が減少し始めているにも関わらず、相変わらず「右肩上がり」の将来予測に固執して、再稼働が必要だと叫んでいるのである。

部門別電力最終消費の推移.png
図1.(出典:平成29年度エネルギー白書)

1世帯あたりの電力消費量の推移.jpg
図2.(出典:電力事業連合会HP)
posted by Cheshire Cat at 02:46| Comment(0) | 日本の社会

2018年06月12日

国連人権高等弁務官事務所からのメッセージと日本政府の対応

 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は5月24日、日本政府が今年10月から実施を予定している生活扶助費の段階的な引き下げについて、複数の独立専門家・特別報告者の連名によるプレスリリースを発表、日本政府に対話を申し入れている。しかし、日本政府はこれを完全無視、応答していない。また、日本の主要メディアもまともに報道していない。ページは
こちら

その内容(国連による日本語版)を全文引用する。
 日本:「貧困層の社会保障を脅かす生活保護削減」国連の専門家が警告

 ジュネーブ(2018年5月24日)国連の人権専門家*は、今年10月から実施予定の生活扶助費の段階的な引き下げについて、貧困層、特に障害者、一人親世帯、また高齢者の最低限の社会保障を脅かすものとして、日本政府に見直しを求めた。
 昨年12月に生活扶助の支給額が今後3年間で最大5%引き下げられることが決定されたのを踏まえ、人権専門家が警告を発した。今回の措置により、現在の受給世帯の約3分の2の世帯で生活扶助額が減額される見通し。
 「日本のような豊かな先進国におけるこのような措置は、貧困層が尊厳を持って生きる権利を踏みにじる意図的な政治的決定を反映している」と専門家は述べた。
 「日本は緊縮政策が必要な時においても、差別を撤廃し、すべての人に基本的な社会的保護を保証する義務がある。貧困層の人権への影響を慎重に考慮せずに採択されたこのような緊縮政策は、日本の負っている国際義務に違反している」と付け加えた。
 今回の削減は、2013年に行われた同様の生活保護の予算削減に続くものである。専門家は、年収を10段階に分けた場合の最も低い所得世帯層の消費支出の状況に基づいて生活保護基準を見直すという方式の正当性に疑問を呈している。
 「この基準に基づいて決定される最低生活水準は、国際人権法で要求される適切な生活水準と合致しない。このような欠陥のある方式に基づく受給額減額によって、日本はますます多くの人々を貧困に陥れることになる」と主張した。
 「高齢者の貧困と社会的排除により、またも多くの人々が声を上げられないまま苦しむことになろう。これらの政策が修正されなければ、貧困に最も影響を受けやすい人々、特に女性の高齢者、女性世帯主世帯、女性の障害者などを傷つけるだろう」と強調した。
 「今回の削減によって最も打撃を受けるのは障害者であろう。経済的負担の増加により、施設に入ることを余儀なくされたり、自殺を図るケースが増えているとのが報告もある。生活扶助費の削減は、障害者権利条約によって保証された、障害者が地域社会で自立して生存する平等の権利を奪うものである」と専門家は述べた。
 専門家は、国際義務に基づき、生活扶助費の引き下げの包括的な人権アセスメントを行い、そして負の影響を緩和するために必要な対策を講じるよう、政府に要請している。
 また、専門家は、政府が生活保護改正法案を現在審議していることに触れ、生活保護受給者が非受給者と同等に医療を受ける権利を制限する可能性があると指摘した。「生活保護受給を理由に、医薬品の使用に制限を課すことは、国際人権法に違反する不当な差別に当たる。政府は改正法案を慎重に再検討するよう強く要請する」と述べた。

専門家は、日本政府にすでに直接懸念を表明した。

以上

* 今回の声明を発表した国連人権専門家一同:フィリップ・オルストン氏、極度の貧困と人権の特別報告者;ホアン・パブロ・ボホスラブスキー氏、対外債務と人権の独立専門家;カタリーナ・デバンダス氏、障害者の権利の特別報告者;ローザ・コーンフェルド・マッテ氏、高齢者の人権の独立専門家。
国連人権専門家は、国連人権理事会の「特別手続き」に属する専門家である。「特別手続き」とは数々の独立専門家を擁する、国連人権機構の中の最大組織である。特定の国における人権状況やテーマ別の人権状況について事実調査・監視を行う、国連人権理事会の独立した数々のメカニズムを総称して「特別手続き」という。全ての国が調査対象となる。「特別手続き」の専門家は国連職員ではなく、金銭的報酬も受け取らず、自らの意思で調査に取り組む。いかなる政府、組織からも独立し、個人の資格で任務にあたる。

 繰り返すが、日本政府はこの「対話の申込」を完全無視、再改正生活保護法案は6月1日参院本会議で可決、成立した。
 以前の「報道の自由」に関する問題でも出てきたことだが、国連における「独立専門家」や「特別報告者」の意味について、日本政府は正しく理解せず(または理解できない振りをして)「国連の正式見解ではない」などと強弁し、メディアもそれに追随している。しかしながら、それらの「特別な個人」は、各国間の駆け引きや大国の都合に影響される理事会や総会の決議とは離れた立場から国連の理念を追及する「発言者」として国連に任命されているのであり、それ故に彼等のメッセージは一定の敬意・重みをもって国際社会に受け止められている。
 「個人の意見」など「組織の決定」に比べて何の価値もない、という思想は日本社会の歪みそのものであり、民主国家・民主社会になり切れていない現実を如実に示している。しかしながら、大手メディアも同じ「思想」にどっぷり浸かっているので、政府と同様にそれらを軽視し、国内メディアに依存する国民の多くも「知らずにいる」ことになる。
 そうやって、日本は世界に目を閉ざして「異端の国」の度合いを強め、やがて世界の風当たりが強くなっていることに気付くと「逆ギレ」して暴走する、80年前の歴史を繰り返そうとしているようにしか見えない。
posted by Cheshire Cat at 15:05| Comment(0) | 世界と日本